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呉簡易裁判所 昭和41年(ろ)100号 判決 1968年2月05日

主文

一、被告人両名に対し刑を免除する。

二、訴訟費用は証人別府清司、桑田員式、増田時美に各支給した分を除き被告人両名に連帯して負担させる。

理由

(罪となるべき事実)

被告人両名は共同して昭和四一年一〇月一四日午后一一時四五分ごろ、呉市大和通二丁目海上自衛隊呉基地警防隊正門前の市道交叉点東南角の排水溝縁にある呉市管理にかかる高さ約七〇センチメートルのコンクリート製防護壁に、管理者の承諾を得ないで、巾一八センチメートル長さ三八センチメートルの紙に「アメリカのベトナム侵略反対」又は「佐藤内閣打倒、国会解散―」「徴兵制をねらう小選挙区制粉砕」と書いた日本民主青年同盟名義のビラ合計九枚を糊で貼りつけ以てみだりに他人の工作物にはり札をしたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

一、軽犯罪法違反 同法第一条第三三号罰金等臨時措置法第二条

二、共犯     刑法第六〇条

三、刑の免除   軽犯罪法第二条

四、訴訟費用   刑事訴訟法第一八一条第一項本文第一八二条

(弁護人の主張に対する判断)

本件においては公訴事実の少くもその外形事実の存在に関するかぎり被告人らもこれを認めて争わず、証拠上も充分これを認定できるのであるが、被告人、弁護人は本件公訴の適法性を争いまた被告人らの行為の正当性を強調しているので特にこれら法律上の争点に対する当裁判所の見解を以下に述べることとする。

第一、公訴棄却の主張について

被告人及び弁護人は、いわゆるビラ貼りのような軽微な法益侵害についてしかも従来放置されて怪しまれなかったものであるのにかかわらず卒然として本件についてのみ逮捕、起訴という強硬な措置がとられていることは本件ビラの内容である反政府的言論もしくは被告人らの所属団体に対する弾圧を目的としたものに外ならないとし、従って本件起訴は公訴権の濫用としてその効力がないものというべきであり、しからずとしても法の下の平等の原則を破り著しく正義に反するものであるからその棄却を求める旨主張する。

そこで考えてみると一応独立の地位を認められているとはいえ、最終的に行政府の指揮下におかれている検察官が、時にその意を体して公訴権を濫用し、不当に公訴を提起するような事態が生じ得ることは必ずしも否定できないところであり、かような場合裁判所が如何に対処すべきであるかは極めて困難な問題である。一部の学説は正当手続を保障する憲法第三一条または前記一四条などの趣旨に従い、まずその起訴の当否について審理を尽したうえ不当な公訴についてはこれを棄却すべきであり、その后において始めて実体判決をなすことが許されると論ずる如くであって、本件弁護人の主張も概ねこれと同様の趣旨と解せられるのであるが、かかる主張は法文上の根拠を欠くのみならず、何よりも訴訟条件の備わるかぎり、裁判所は有罪無罪の判断を下すべき義務を負うものであることを閑却視するものとの批判を免れないであろう。

もし前記のような所論に従うとすれば、起訴の適否を立証するため公訴事実とは全く関係のない他の無数の犯罪についての審理を重ねた上でなければ、本案の審理に入ることができないこととなり、しかもこれにより不当な公訴であるとしてこれを棄却したとしても前記のとおり法文上の根拠を有しない裁判であるから、検察官としては自己の非を認めるような異常事態を想定しないかぎり当然上訴又は再起訴の手段に訴えるであろうことは火を見るより明らかなことであって、かくして訴訟はかのいわゆる松川事件、八海事件の如く無限に遅延することとなり、被告人は憲法第三七条にいう「迅速な裁判」を受ける権利を奪われ、数年或は十数年の長きにわたり不当に危険にさらされる結果を招くに至るであろう。当裁判所は訴訟の現実を無視するようなかかる所論に組することはできない。

裁判所は国法上一般的に検察官を指揮監督する権限を与えられているものではない。かような公訴権濫用の事態が生じたとすればその被告人は刑事訴訟において当然下されるであろうところの無罪判決に基いて検察官適格審査委員会に対し当該検察官の罷免を要求し、また国家に対し不当な起訴によって蒙ったすべての損害の賠償を求めることができるのである。かような手段が迂遠であるからといって刑事訴訟の段階において公訴の適否の審査を要求することは訴訟を遅延混乱せしめ、裁判の権威をおとしめようとする隠謀とすら考えられるのである。

もとよりかくいえばとて逮捕勾留或は捜索差押などの強制処分についてさらにはこれによって得られた証拠の許容性などについて、裁判所の果すべき任務は軽視できないし、これらの権限の行使がいわゆる正当手続の保障に奉仕するものであることは明らかであるけれども、訴訟法上検察官の専権と定められている起訴不起訴の処分については、かく定めた法の趣旨を尊重すべきが当然であるのみならず、裁判所がこれを批判するとしても充分な根拠に基いて慎重な配慮が要請されるのであって、単なる揣摩臆測によって軽挙妄動することは許されないこともいうまでもない。

従って当裁判所は被告人らの公訴棄却の主張は失当であると判断するが、前記のとおり同種の違反行為が放置されて来たのにかかわらず特段の理由もないのにひとり被告人のみ訴追されたとすれば、被告人らがこれを以て不公平と感じ弾圧と憤ることもまた無理からぬところであり、もしそれが真実であるとすれば、かりに被告人が有罪と判定された場合においてもその量刑上相当な配慮がなされるべきことはもちろん必要に応じ判文上これを公表して最終的に国政の決定権を有する国民の批判を待つことが、裁判所のとるべき態度であると思料するから以下本件審理に現われた資料の限度においてこれを解明することとする。

そうすると例えば、最も古典的な犯罪である窃盗においてすらもその検挙率は毎年約五〇パーセントにすぎないといわれていることでもわかるように犯罪が発生しても犯人時には被害者が判明しないまま検挙に至らない事例は極めて多数に上るのであって、本件のようなビラ貼りなどはその行為者の判明しない場合がむしろ原則といってよい程検挙が困難であることは本件工作物の管理に当っていた証人別府清司の供述によってもうかがい知ることができるのであって処分されない同種の犯行が多数存在するからといって直ちに本件起訴の当不当を論ずることは早計であり、その行為者が判明している場合について比較しなければ意味をなさないうえ、その場合にも貼付したビラの枚数、形状寸法、貼付の場所或は撤去の意思などが明らかにされなければ、その適否を決しがたいと考えられるところ前記証人によればこの種行為は殆ど犯人不明のままであるというのであって対比の資料は存しないから、これだけで本件が従来の基準を度外視した異例の起訴であるとの所論を肯定することはできない。

被告人らはなおその所為が正当な政治活動であり表現の自由に属するものであることを前提として本件逮捕及び起訴の不当を強調し、反政府的言動に対する弾圧を目的とするものと主張するが、後述のとおり本件はまさに軽犯罪法第一条第三三号に該当する犯罪であると認められる以上、本件ビラの内容が反政府的であるとの一事によって、訴追を免れるべきいわれはないうえ、被告人らを逮捕した警察官である井上健治の証言によると、本件は同証人が通常の夜間警邏勤務中現場にさしかかった際、たまたま被告人らの犯行を目撃し、職務質問をした結果発覚したというのであるから、いわゆる政治的検挙というような所論は根拠がないし微罪でありながら逮捕されたといっても、右証言によると被告人らは同証人らからその所為が軽犯罪法にふれる旨警告を受けたがなおその非を認めようとせず、しかもその住所氏名をも明らかにしないまま、その場に集って来た数名の者とともに立ち去ろうとしたというのであるから同証人らが被告人を軽犯罪法現行犯人として逮捕するに至ったことは、まさに警察官として当然なすべき義務を尽したというべきであって、いわゆる弾圧云云とは牽強附会の言にすぎないこと明白である。

さらに本件起訴の適否についてみると、刑事訴訟法第二四八条によれば検察官は「犯人の性格年令及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪后の情況」により訴追を「必要としないときは」公訴を提起しないことができるものと定められているところ、本件被告人らはいずれも自己の行為の正当性を主張して譲らないのであるから改悛の情のないことはもちろん再犯のおそれも極めて大きく少くも「犯罪后の情況」についてはその要件を満さないことが明らかである。そしてかように行為の適法か否かが争われ、しかも憲法の保障する基本的人権が問題となっているときは、その判断は裁判所に委ねられるべきものであるから検察官が法の正当な適用を求めて公訴を提起することは当然であり、むしろかくすべきが法の要請であるといえよう。

問題は被告人の行為が憲法を頂点とする現行法秩序を紊すものであるか否かの点にあるのであって、捜査機関のとった措置の是非はこれによって自ら決せらるべきものである。

被告人らの前記主張は全く根拠がないといわなければならない。

第二、構成要件該当性及び違法性各阻却の主張について

弁護人らは軽犯罪法第一条第三三号が「みだりに……他人の工作物にはり札を…した者」と規定していることを根拠として、右にいうみだりにとは単に所有者又は管理者の承諾を得なかったというだけではなく社会通念上是認し得るような理由の存在しないことを必要とする趣旨であって、同号の構成要件の一部をなすものと解すべきところ、被告人らの本件所為は憲法を擁護し平和を守ろうとする正当な目的のためやむを得ずしてなしたものであり、ビラ貼りはかかる目的達成のため社会一般に認められた相当な手段であるから、いわゆる社会通念上是認せらるべき場合であって、従って同号の構成要件に該当しない旨主張し、さらにかりに右主張をして理由なしとするも、被告人らの所為は社会的に相当性があるというべきであるとして広島県屋外広告物条例第六条の規定をひいて美観が本来問題とならない防護壁にビラを貼ったにすぎない本件は刑法第三五条の正当行為にあたるから違法性を阻却する旨主張する。

すなわち右主張はいずれも被告人らの所為の正当性を根拠とするものであるから便宜ここにあわせて判断する。

まずいわゆる「みだりに」とは所論の如く特別構成要件の要素とすべきか或は最近の東京高裁第九刑事部昭和四二年一一月二四日判決例の示すように単に違法性を表する用語たるにすぎないかは一つの問題であって当裁判所はもとより後者の見解に従うものであるが、百歩譲ってこれを弁護人所論の如く解するとしても、本件において被告人らの所為が社会的に正当な行為であるとか或は社会通念上是認さるべき理由があるとは到底是認し得ないところであるから、弁護人らの右主張はいずれも採用できない。

すなわち弁護人らの主張は、要するに被告人らの本件所為は、憲法と平和を守ろうとする正当な目的の下に、世上一般の慣行である一片のビラ貼りをしたというにすぎず、特に都市の美観を害したというわけでもなく、単に工作物の所有者である呉市の所有権管理権をわずかに侵害したというに止まりかくの如き軽微な法益の侵害ありとしても、前記目的を達成しようとする被告人らの表現の自由に比すれば、殆どとるに足りないものであるというにあるものと解せられる。

しかしかように法益較量を基礎として社会的相当性を論ずることは最近の判例学説にしばしば見受けられるところであるが、軽犯罪法は通常刑法と異なり社会一般の卑近な道徳律違反の行為に対して軽微な制裁を科することにより秩序を維持しようとするものであって、そこに予想される実質的違法性すなわち法益の侵害又は危険性はそもそも当初から軽微であることを特色としていることがまず注意されなければならないであろう。それは例えば同法第一条第一号或は第二号のように放置すれば刑法上の住居侵入窃盗或は持凶器傷害などに発展するおそれはあるが、しかし未だその予備行為にすぎないと考えられるもの、または同条一六号の如く刑法上の誣告と類似しながらその構成要件の一部を欠くものなどであって、その違法性は本来の刑罰を科するまでに達していないが、なお、秩序を紊すおそれのある行為を対象としているのであるから、その保護法益の侵害が軽微であるが故に可罰的違法性なしと論ずるならそれは軽犯罪法そのものが制定せられた趣旨を没却することとなるであろう。

被告人らが本件において私利私欲を目的とせず、平和を愛し民主主義を守ろうとしたものであることはこれを認めることができないではないけれども正当な目的がすべての手段を正当化するものでないことはいうまでもない。

如何なる場合においても暗殺が犯罪であることは異論のないところであるように正当な目的を達成するためであっても、その手段方法もまた社会的に相当とされる範囲を超えてはならないのである。

被告人らは自己の政治的主張を表現せんがために、呉市すなわち他人の所有し管理する工作物に無許可ではり札をしたものである。それが果して弁護人らのいうような相当の範囲に止まるといえようか、弁護人らの援用する広島県屋外広告物条例は本来都市の美観、公共の安全を目的とするものであって、本件のように社会的道徳律違反を規律する軽犯罪法とはその対象を異にし、前者に基いて後者の違反を正当化することはできないこというまでもない。

そうして憲法の保障する言論表現の自由は専ら政治的言論に関するものであるが右は思想の自由と関連し単に特定の言説を表示する自由だけではなく、また自己の思想を公けにするかしないかの自由を包含するものであることは忘れてはならない。自由或は権利を主張する者はまず他人の自由或は権利を尊重しなければならない。

何人も自己の政治的主張を他人に押しつける権利がないことはいうまでもないと同時に自己の政治的信念に反する他人の意見が、自己の見解であるかのように誤解されるような方法で表示されることまでも容認しなければならない義務などありはしないのである。

換言すれば自己の管理する場所にその意に反してまで他人の政治的意見の発表を許さなければならない義務は存在しない。むしろそのように他人の管理する場所を利用して勝手に自己の政治的意見を公表することは、他人に自己の政治的意見を押しつけることと同様であり、他人の表現の自由を侵害するものである。ここに本件ビラ貼り行為が憲法を頂点とする法秩序全体から見て許されないことすなわち違法性の根拠が存在する。それは単にこれによって工作物を汚したというような財産権の侵害ではなく、表現の自由そのものに対する侵害なのである。

被告人らはいうであろう。憲法を尊重し擁護することは公務員の義務と定められているが故に、この目的に奉仕する本件ビラの貼付については、被害者とされている呉市の代表者である同市長は、当然許可を与えるべき義務がある。従ってその許可を得なかったことは単に形式的な瑕疵に過ぎないから、これのみを以て本件所為が違法とされるべきではないし、たとえそうでないとしても被告人らは憲法を破壊しわが国を戦争に駆り立てようとする政府に対し憲法第一二条に従い権利と自由の保障を保持するための努力を同法第二一条の表現の自由の範囲内においてなしたというにすぎないから、憲法を頂点とする現行法秩序体系の下においては当然正当として是認せられるべきものであると。

しかし表現の自由は単に現行憲法を擁護しようとする言論のみに対して保障されるものではない、国家権力―特に行政府に対して批判を加え、これに反対する自由は共産主義或はナチズムもしくは封建制諸国と民主主義国家とを区別するメルクマールであり、尊重さるべきものであることは論をまたないけれども、現行憲法を擁護する言論と同様に、これに反対しその改正を唱導する言論もそれが暴力的傾向を伴うものでないかぎり同様の保護を与えられなければならないのである。従って私有財産権の尊重を規定する憲法第二九条と基本的に相容れないマルクス主義さらには無政府主義もその宣伝流布について国家権力により妨害することは許されないのである。何となれば国政は終局において国民全体がその自由な意思によって決定すべきものであって、憲法は自由な言論によって社会の進歩国政の改良の実現せられることを期待するが故に言論表現の自由を絶対的に保障しているのである。このことは憲法自体が将来或は改正されることあるべきことを予想してその手続規定を設けていることから見ても充分理解できるであろう。

そうしてみると裁判所その他の国家機関が特定の政治的言論についてその内容の故にのみ特別の保護を与え、これと異なる内容の言論との取扱を別異にしたとすれば、それは違憲であり、それこそまさに言論表現の自由を踏みにじるものといわなければならないのである。

思想は自由な市場において争われるべきものであり国家機関がこれに介入することを許さないことこそ憲法の精神だからである。

従って裁判所は被告人らの本件所為が憲法を擁護しようとする目的に出でた表現行為であると認めたとしても、それだけでこれを正当行為と評価することはできないわけである。

また地方公共団体においてはどうであろうか。表現の自由の保障が前記の理由に基くと解せられるかぎり地方公共団体も政治的中立を要請されることは国家機関と全く同様であって、これを別異に解しなければならない根拠は存在しない。

従って本件ビラの内容がどうであろうとも、それが政治的主張と認められるかぎり本件工作物の所有者であり管理者である呉市は、その貼付の許可を求められたとしても、これを認めることはできないものといわなければならない。

かように考えてくると本件所為が表現の自由に属しないことはもちろんこれと相容れないものであることは明らかであって、これを正当行為と認め得ないものであることはいうまでもないから被告人らの前記主張はいずれもその前提を欠き失当であるといわなければならない。

第三、その他の主張について

弁護人はなおベトナム戦争の惨禍を説き、これに協力するかの如きわが政府の態度を強調して被告人らの本件所為がやむを得ざるに出でたものである旨縷述し、いわゆる緊急状態における正当行為であるから違法性を阻却すると主張する如くであるが、ベトナムにおける米国の軍事活動によって同国の人民が受けている艱難辛苦は、かつてひとしく戦禍を蒙ったわが国民にとってまことに同情を禁じ得ないところであり、その平和の速かな到来こそわれわれの一致して熱望するところであるけれども、その故に本件所為の違法性を阻却するものといえないことは、かかる緊急行為の原則規定である刑法第三七条においてさえ、その行為が目的達成のため必要かつ相当であることのほか他にとるべき方法がなく、唯一の手段であることすなわちいわゆる補充性を要件としているのにかかわらず、本件においては被告人らが或は街頭演説、または新聞雑誌に対する投書乃至ビラ配布などの方法で同様の目的を達成し得られたと思われるのであって伝えられる文化大革命下の中国におけるようにこれ以外に表現の手段がなかったなどとは常識上到底考えられないところであるから、この一事を以てしても弁護人らの右主張の失当たること明らかである。

(量刑について)

本件犯行は被告人らの私利を目的とするものでなく、単に法を誤解した結果にすぎないものと認められること、当地において従来この種犯罪についてかつて訴追された例が全くないことは検察官も自認しているところであること、被告人両名ともに若年であり特段の前科もない勤労者であることなどをあわせ考えると、被告人らに対しては将来を戒めれば足り敢て刑を科するまでの必要はないと思料されるから軽犯罪法第二条を適用していずれもその刑を免除することとした。

よって主文のとおり判決した。

(裁判官 富川秀秋)

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